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ビモータ DB5R bimota
ビモータ DB5R bimota
ビモータ DB5R bimota
1972年にビアンキ、モーリ、タンブリーニの三人よって設立されたフレーム・ビルダー。メーカー名の由来は三人の名前の最初のスペル2文字に由来する。元々は空調機器メーカーとして出発したが、根っからのオートバイマニアであったタンブリーニの趣味が高じてフレーム・ビルダーとしての業務もビモータ・メカニカとして開始。レーサーに対してフレームを供給し選手権獲得をした頃からその名を広め市販車発売を期に二輪メーカーに転向。他社製のエンジンを自社製のフレームに搭載したモデルを発売して好評を博し、更にはそれらの車両を使用してレースにも参加していた。車名はイニシャルで最初がエンジン供給メーカーで二番目がビモータのB三番目がそのエンジン・メーカーのモデルの何番目を指す。当初からオートバイ(エンジン)メーカーはエンジン単体での供給をせずビモータは車体を購入後、エンジンだけを取り外して使用していた。これは、当時のビモータ社の生産ラインがほとんど手作業に近いレベルであり、年間生産台数も2桁に過ぎず、エンジン単体では商業ベースに乗らなかったためである。軽量ではあるが、溶接に手間がかかるバードケージフレームやFRP製カウルを使用していたので非常に高価であったが、当時他のメーカーにその様な仕様のモデルを市販してくれるところは少なく一部の熱狂的なファンに支持された。(一例をあげると、1983年に発売されたカワサキGPz400Fの価格は52万5千円であったが、このGPz400Fのエンジンのみをビモータ製フレームに搭載したビモータKB2-TTの価格は340万円であった)また、モーターサイクル史上に残る唯一のセンターハブ・ステアリングを搭載する市販車テージ・シリーズも同社の製品である。ちなみにビモータ・テージの日本国内価格は298万円であった。
1990年代末期に自社製500cc2ストロークV型2気筒エンジンを搭載した「500 Vdue」を発売するが、技術的問題により失敗。BIMOTAは大きな負債を抱える。2000年、スズキTL1000エンジンを搭載したSB8Kで、世界スーパーバイク選手権に出場。アンソニー・ゴバートのライディングにより、出場2戦目で早くも優勝。その技術力の高さを見せつけるも、商業的な成功にはつながらず、会社は倒産に至る。
2003年新たな資本を獲得し復活。セルジオ・ロビアーノのデザインによる、DUCATI 1000DSエンジンを搭載したDB5 MILLEを発表。BIMOTAのお家芸でもあるクロモリトラスパイプとアルミ削りだしのピボットプレートを組み合わせたコンポジットフレームは、軽量な車体と相まって「ハンドリングマシン」と呼ぶにふさわしい傑作を生み出した。
2006年DB5 MILLEをベースとしたネイキッドモデル、DB6 DELIRIOを発表。フェアリングを取り去っただけの安易な派生モデルではなく、独自の「振り回せる」ハンドリングは、新生BIMOTAの完全復活を世に示した
ビモータ DB5R bimota
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